一夜明けて本当におめでとう!!

プロ野球日本ハム新庄剛志外野手(34)が26日、初出場の日本シリーズで中日を4勝1敗で破って日本一に輝き、今季限りで現役を退くプロ野球人生を有終の美で飾った。「完全燃焼したい」と臨んだ大舞台でもファンを魅了し、惜しまれながら、グラウンドを去った。

 4月18日のオリックス戦後、お立ち台で突如、引退を表明。「最後に頂点に立てたらもう死んじゃうかも」。その言葉は、チームを44年ぶりの日本一に導く“予言”だったのかもしれない。

 「自分たちが楽しまないと、ファンも楽しめるはずがない」と「楽しむ」ことの大切さをチームメートにも説いた。そんな姿勢は2001年から挑戦した米大リーグで培われた。「虎のプリンス」と呼ばれた阪神時代は人気球団ゆえに大勢のファンやマスコミから注目の的にされ、成績が悪ければ罵声(ばせい)も浴びた。突然引退を申し入れ、撤回したこともある。窮屈にも感じられた日本球界を飛び出した新庄は、水を得た魚のようにはつらつとプレーした。メッツでは俊足と強肩を生かしたビッグプレーを連発。打撃でも勝負強さを発揮した。そんな新庄はニューヨークのファンの心もとらえた。地元紙の見出しで「SHINJO」と「JOY(喜び)」を合わせた「SHINJOY」という造語が大きく躍った。

 2004年に復帰した日本ハムでは数々のパフォーマンスでファンを引きつけた。襟付きアンダーシャツを着用して物議を醸したが「新しいことやいろんなことにトライし、ファンに楽しんでもらいたい」との信念があった。

 90年にプロ入りしてから17年間。阪神時代の初任給から8000円を捻出(ねんしゅつ)して購入したグラブをいままで大事に使った。阪神のマークと当時の背番号「63」が縫い込まれたグラブは補修と毎日の手入れを繰り返し、守備力が生命線の新庄を支え続けた。黒ずんだグラブとともに、新庄は野球人生に幕を下ろした。

新庄選手のグラブ話は有名で、他人には手も入れさせない気をつけようである。
プロ根性に天晴れである。